社会福祉法人楽友会が設立されて約半世紀。今日では多摩市を拠点とし、介護保険事業を中心に介護福祉サービスを提供させていただいております。
前号のこのコーナーでは社会福祉法人について簡単に紹介いたしました。今回は社会福祉法人が日本に誕生した背景などに触れてみたいと思います。
さて、前号の文中に「ゆりかごから墓場まで」というフレーズを引用いたしました。これは第二次世界大戦後のイギリスにおける社会保障制度に関するスローガンです。
戦後、イギリスでは経済学者ウィリアム・ベヴァリッジが示した「社会保障と関連サービス」という報告(通称、ベヴァリッジ報告)を土台として社会保障制度の整備に取り組みます。健康保険と失業保険、年金制度などの社会保障制度を強化し「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとして福祉国家への道を突き進みました。そして日本もそうした社会福祉政策を参考に様々な社会保障制度の充実に取り組むことになります。
戦後日本においてまず必要とされたのはとにもかくにも戦争による生活困窮者への支援でした。終戦翌年の1946年に日本国憲法が制定され、同年に生活保護法が制定されています。次の大きな課題は戦後大量に存在することとなったいわゆる戦争孤児たちでした。生活保護法制定の翌年1947年には児童福祉法が制定され、児童養護施設が次々とつくられました。その後1950年には主に傷痍軍人を救済するために身体障害者福祉法が施行されています。こうして戦後混乱期のわずか5年の間に3つの社会福祉関連法が成立しました。
しかしここで次の問題が発生します。人々を救済する法律はできた。しかし誰がそうした人々に手を差し伸べるの?という課題です。すべての対象者に国や地方自治体が直接的にサービスを提供できるかというと、それは物理的に困難でした。また、児童福祉法の制定により児童養護施設なども作られていましたが、その多くは民間の篤志家が私財を元に活動をしていました。それらは財政的にも厳しい運営であり、永続的に安定して事業を継続することが難しいのではないかという危惧を生じます。これではせっかく整備した法律が十分に機能しません。そこで国や地方自治体の公金(税金)を用いて、国や自治体に代わり安定して福祉サービスを提供することができる事業主が必要とされました。そうした背景から1951年に社会福祉事業法が制定され、その法律のなかで社会福祉法人が誕生しました。つまり、社会福祉法人とは社会保障制度の充実を図るため、安定して永続的に存在しうる福祉サービスの担い手として社会に登場したのでした。
なんだか小難しい話になってしまいましたが、社会福祉法人がどういういきさつで日本に誕生したのかをかいつまんでご紹介させていただきました。
いやー記憶というものはあやふやだなあと、20年以上前に大学で学んだ知識を思い返しながら、改めて調べ直しながらのお話で実感いたしました。たまには昔学んだことを再確認するというもの、かえって新鮮で楽しいものですね。次回は「社会福祉事業」についてご紹介したいと思います。
※この記事は広報誌「おおぞら 秋号」に掲載した記事を転載しています。本ページをPDFでご覧になる場合は、こちらをクリックしてください。